メモ帳から 2
2017年 11月 18日
われわれは、人間にはみな道徳心があると考えている。初対面の人と応対するときにも、われわれはふつう、警戒はしながら、警戒心とはべつの感情を抱く。それは相手への信頼の感情である。
もしかしたら、まだ相手を心から信頼してはいないかもしれない。しかし少なくとも「信頼しなければならない」という考えが頭ののどこかにある。
そのときわれわれは、相手の道徳心を仮定している、と言ってはいけないだろうか。
電話越しに話す見ず知らずのひとにも、われわれは最初、信頼することから始める。電話を掛ける用件が済みさえすればいいとは考えない。相手の道徳心を信じ、また相手に信じられていることを願いながら会話の用件を果たす。そして用件そのものも、この信頼関係があるからこそ巧みに行われる面もある。
もっとも、相手を信じすぎることも、相手を信じない(疑う)ことと同じくらい、日常生活に問題を引き起こす。むやみに人を信じるべきではないのは勿論である。
それでも、人を信じることの重要性は強調されるべきだろう。なぜなら、人を信じることは、人の心にある道徳心を信じることであり、それは自分自身の行動にも反映するからである。相手を思いやることが人間の道だと信じられれば、われわれは実際に周囲の人間に思いやりを示せるだろう。
けれども、この道徳心というのは一体何だろうか。
(つづく?)
もしかしたら、まだ相手を心から信頼してはいないかもしれない。しかし少なくとも「信頼しなければならない」という考えが頭ののどこかにある。
そのときわれわれは、相手の道徳心を仮定している、と言ってはいけないだろうか。
電話越しに話す見ず知らずのひとにも、われわれは最初、信頼することから始める。電話を掛ける用件が済みさえすればいいとは考えない。相手の道徳心を信じ、また相手に信じられていることを願いながら会話の用件を果たす。そして用件そのものも、この信頼関係があるからこそ巧みに行われる面もある。
もっとも、相手を信じすぎることも、相手を信じない(疑う)ことと同じくらい、日常生活に問題を引き起こす。むやみに人を信じるべきではないのは勿論である。
それでも、人を信じることの重要性は強調されるべきだろう。なぜなら、人を信じることは、人の心にある道徳心を信じることであり、それは自分自身の行動にも反映するからである。相手を思いやることが人間の道だと信じられれば、われわれは実際に周囲の人間に思いやりを示せるだろう。
けれども、この道徳心というのは一体何だろうか。
(つづく?)
by kazuki_t55
| 2017-11-18 17:42